和のあぶら

油の話 (4)つばき油の歴史と製法

『つばきの言葉あれこれ』
日本では「つばき」と言う漢字は「木偏に春」と書き「椿」が用いられますが、中国で「つばき」のことを「山茶」と言います。お隣の韓国では「冬の柏(かしわ)」と書いて「トンペク」または「ツンバク」(冬はtong,柏はbaek) と言い、発音は日本の「ツバキ」に似ているそうです。案外、語源は韓国かもしれません。
椿が日本からヨーロッパに紹介されたのは十六世紀頃で、イエズス会士のJ・Camellus(カメルス)が持ち帰り、彼の名をとってカメリア(Camellia)と名付けられたと言われています。
十九世紀のベルデイーの歌劇「椿姫」はヨーロッパで「つばきの花」が異国情緒あふれるイメージを与えたものと思われます。また日本を含め東アジアの照葉樹林帯の気候は「カメリア気候」とも表現され「ツバキ」が東洋の代表的な花と解釈されています。

つばき『つばきの最初の記録』
最初の記録は日本書紀の景行記のなかで「つばきの枝で作った椎(つち)で熊襲(くまそ)と闘ったと記されています。万葉集に「紫は灰さすものそ海石榴市(つばいち)の八十のちまたに逢へる児や誰」と詠まれ、椿の油は勿論のこと椿の葉や木を燃やした灰汁も紫の染色の媒染剤に使われていたことがわかっています。
平安時代には大和の国の海石榴市は長谷観音と共に有名で、清少納言の枕草子に「長谷寺に参詣する人は必ず椿市に立ち寄るので観音様のご縁があるのですね」と書かれています。当時、椿市では燈明油、燈明器具が売られていて長谷観音を参拝する人々は油や燈芯、燈明皿を仕入れていたようです。また、紫式部の源氏物語「玉鬘(たまかつら)」の巻で初瀬の椿市(初瀬は長谷のこと)にお供したとき燈明油を買ったことが書かれています。

『海を渡ったザクロ』
昔の「つばき」の文字を見て、皆さん何かおかしなことにお気づきでしょうか。「海石榴」、「海柘榴」、「海榴」と書いたりしています。石榴・柘榴は「ザクロ」のことです。それは、その昔、日本特産のツバキが中国に渡ったとき、彼の地にあったザクロに似た花と実をつけたので「海を渡ってきたザクロ(柘榴)」の漢名がつけられ、そのまま日本に漢字としてもたらされましたが、どうも日本名にふさわしくないので「春を迎える花木」として「長寿の大椿の漢字」を当てて「椿」としたのではないかと言われています。

『昔ながらの椿油の製法』
伊豆大島での採油方法(採油に関する技術書がないので古い資料から紹介します)

一番油(良質油)は10日間ほど静置してから上澄みを採取して更に不純物をろ過します。
二番油は色も濃く酸化して匂いも臭く、そのままでは使えないので精製処理して出来るだけ色や匂いを除去しますが品質はやはり劣ります。

つばき『つばき油粕』
つばきの油粕には「サポニン」が含まれています。そのため水に油粕を入れて良く振ると石鹸のように泡立ちます。(サポニン=サポンからシャボン=ソープ=石鹸と関連がある)地域によっては油粕を水に溶かしてシャンプーの代わりにしているところもあるとのこと。また、上手に油粕を精製して洗髪用の商品を開発しているメーカーもあるそうです。
つばきの油粕は園芸肥料として使用するとナメクジやデンデンムシの駆除に効果があり、大事な盆栽や洋蘭、観葉植物をはじめイチゴ栽培や野菜栽培で大切な植物を虫害から守ります。また土壌に鋤(す)き込むと線虫の駆除と有機肥料としての効果があり、無農薬栽培、有機栽培の土壌改良剤として天然・自然を表現するには最適かと思います。