和のあぶら

油の話 (6)町家の改修 ~こだわりの施主と職人~

蕓 苔 子(うんたいし)

先日、山中油店さんを久しぶりに訪問させて頂き、その折、お店の前にある山中さんの駐車場の裏手に建つ町家を改修されておられる様子を拝見させて頂きました。又、米田さんと言う昔気質の大工棟梁の有意義なお話しを聞きながら、施主である老舗山中社長さんの永年の経験と京都人ならではの町家への拘りとをひしひしと感じることが出来ました。

格子

お向かいの家の格子窓から。
水車の音と四季の花々を眺め、こぼれ落ちる水音をBGMに…。

イメージから云うと、京の町家はなんとなく細長く奥深い住まいです。昔は家の間口で税が決まったということもありますが、地味な弁柄塗りの千本格子の隙間からは、通りの外から家の中が見えにくく、逆に家の内からは外がよく見える、という京都特有の用心深い警戒心が生んだ生活様式なのでしょう。応仁の乱以降、幾多の戦乱の世を生き抜いてきた、京都人の生活の知恵が生み出した伝統でしょうか。

山中油店の弁柄格子

山中油店の弁柄格子。
黙々と表の移り変わりを見つめ、そして守ってくれていると思うと感慨深い

京格子と弁柄塗り
京格子と一口で言っても多様で、木地のままの荒格子組みの米屋格子、色付けを施した荒格子組みの酒屋格子、油屋や米屋に多い半割り丸太を用いた木格子があります。その他、炭屋格子や平格子の糸屋格子、茶屋格子、細目格子、子持格子、連子格子などがあります。

一般に表側の格子や内部の大黒柱などは弁柄を塗り色付けされています。棟梁の米田さんは昔から大事にしていた弁柄を持っておられ、色具合の調整は煤墨に弁柄を徐々に入れて作るのがコツらしいです。水で解かしたものを木地に塗り込めた後、使い古しの布に菜種油を含ませ拭き上げるのです。(荏油とか鯨油も使ったこともあるが価格とか臭気もあって今は菜種油を使用) 弁柄を熱い番茶で溶くとか、丁寧な塗りでは、弁柄を擂り鉢ですり、さらに水を張って1年間ほどねかしたものを使うそうです。弁柄塗りの手入れは、糠袋で丹念に磨き上げるのが一番であるとのこと、”最高の塗装”は”拭きつや”であると言われ、乾いた布で年季を入れて拭くことである、長年たつと木の中の油と手磨れた油で上品な艶が出てくるのです。(武生市の建具職人の横田氏談)弁柄塗りの町家を興味もって見て歩くと色合いや艶が千差万別、これほど手入れの違いがはっきりと判る弁柄塗りは、町家の当主にとっては怖い存在であると思います。

礎石

防湿、防蟻のために柱の根元に生漆を塗ることもあるそうだ。

地搗き(じつき)と礎石と柱
昭和40年ごろには、未だ日本の各地で見られた懐かしい建築現場の風景が思い出されませんか。地鎮祭が終り、基礎の掘り方が始まると親戚や隣近所のお手伝いさんを呼んで「地搗き」が始まるのです。まず建物の基礎になる所を堀り、高さ四メートルほどのやぐらを組み滑車を取り付け、太い麻ロープを通し「突き棒」を引っ張ります。突き棒は太さ30センチ長さ4メートルぐらいの松の丸太で重量があり、ロープ引きには30人以上と突き棒の根元に4人ほどいて、土を突いて地面を固めて行くのです。作業は大変な重労働で、やぐらを少しずつ移動して順番に突いて行くのです。そのときの作業唄に「千本搗き」とか「伊勢音頭」などが唄われたようですが「オカーチャンノタメナラ エーンヤコラ」「オトーチャンノタメナラ エーンヤコラ」などと男女和気あいあいで作業をしました。

大黒柱や主要な構造柱の所は特に念入りに突き固めたものです。そこに栗石を並べ、その上に玉石や固い平らな基礎石を据えて柱を立てるのですが、所詮は材木、永年の風雨や湿気で腐りなどすると、そこは永年の経験と技のある棟梁の出番、実に上手に改修されるのです。 町家には建物を維持し住む人の思いを込めた改修の跡そこかしこに見られます。コンクリートの基礎は湿気が直ぐ木材に移りますが、石の基礎は、意外に湿気が材木に移らず、長持ちするそうです。 (米田棟梁、山中社長談:今回の町家改修には相当の地盤沈下が見られたが昔ながらの「地搗き」のしっかりした地盤と天然石の土台石に拘った改修に心掛けるそうです。) 御所や寺院などでも、目に見える太い柱や梁など実に見事に継ぎ足し改修しています。そんな職人さんの技を見て歩くのも楽しみですね。

梁壁と小舞
(小舞とは壁を付けるために割り竹を3センチぐらいの間隔をあけて藁縄で編んだもの)
中戸口を入ると「おくにわ」です。誰でもが一瞬、目を見張るに違いない、思いもつかない高く上まで伸びた空間が目前に迫ってきます。屋根裏をそのまま見せた野天井です。引き窓(天窓)から差し込む光に、年月を経て黒ずんだ大黒柱と木組みが、白い漆喰壁に映えてそのバランスが実にマッチしているのです。町家の壁は漆喰壁がよく使われ、座敷には聚楽壁を使われていたようです。今回、見せて頂いた町家の入り口にある「錆び壁」は混ぜた鉄粉が錆びて浮き上がりとても風情のある壁で、一見の価値があります。また、その他の壁も出来るだけ現状維持で修復されるそうです。福井の左官親方の話では荒壁には山の上肌の赤土が最も良いと言われており、練った土を半年や一年も乾かないよう水を張って寝かしておくと餅のようにしなやかになって、藁も腐り塗り上がりがきれいで乾いてからのひび割れも少なくてすむそうです。「小舞」の竹は11月頃に切ったものを冬の間に割って使うそうです。竹を止めるのに鉄釘はすぐ腐るので竹釘を使います、これは何百年も持つそうです。又、法隆寺の修理の際、四百年前の小舞を調べたら藁は腐らず残っており、竹も油気があって未だ充分に使えるとのこと。 今では小舞の竹を縛るのに藁縄を使わずビニール紐を使う業者もあるらしいですが、土との馴染みも悪く地震の横揺れにも弱く、ビニールの耐用年数も判らずに、簡便だからと安易に使われているのも可笑しなことですね。日本の伝統ある壁の技はどうなって行くのでしょうか心配ですね。

生漆漆と柿渋
今回の町家改修には「おもてにわ」と「おくにわ」の「上がり框(かまち)」に松材が使われています。米田棟梁の進言もあって、仕上げに「生漆(きうるし)」を塗るそうです。「生漆」は木材が腐るのを防ぐと言われております。今から年季の入って何とも言えない上品な”拭きつや”が出て来るのが待ち遠しいものです。
「おもてにわ」の壁際は下半分を板張りにして「柿渋塗り」の仕上げをされるそうです。ここにも昔ながらの伝統の材料を使い風情を残そうとされています。「柿渋」には防虫とか防腐の効果があるのと、興味あるのは年月を経るにつれて特有のさびた”しぶーい色合い”が出てくるのが楽しみです。

弁柄塗りに菜種油、地搗き基礎の土台、三和土の土間、漆塗りの上り框、柿渋塗りの腰板、そんな施主さんの注文を聞きながら、米田棟梁と息子さんや若いお弟子さんも一緒になって、それこそ損得なしでこだわりの仕事をされているのが頼もしく感じられました。そこには”古いものを古く直して大切に使って行く”京都人ならではの町家に対する拘りと、棟梁たちの”目に見えない所こそ手を抜かない”職人の心意気を感じたのです。