和のあぶら

油の話 (2)つばきのひとり言

蕓 苔 子(うんたいし)

京都は下立売通りの智惠光院西入にある山中油店さんの前を通るとき、まず目に入るのが清らかな水の流れと昔懐かしい水車の回る音である。しかも心憎いのが豊富な水の流れが、塀を隔てた屋敷内の庭から塀下を通って紅葉や山茶花の花びらが流れ来るのである。一瞬、黒澤 明監督の映画『椿三十郎』の一コマを思い出し、山中油店さんの池には椿の花が似合うのではないかと感じた。

耽羅紀行つばきといえば司馬遼太郎の「街道を行く」の28巻「耽羅紀行」の一節に韓国斉州島の椿のことが紹介されている。一部を記述すると『斉州島は古来、全島に椿が茂っている。島の物産として椿油が陸地(韓国本土を指す)に移出され続けた歴史も相当古い。・・云々。ともかく近代以前、髪につける油といえば、椿油だった。むかし斉州島では嫁入りのときの習慣として、花嫁が手のひらの上に小さな青磁の容器をのせる。その容器には椿油が入っていた、というのである。「油壺はどんな形をしていましたか」「底は水平で、ひろいんです、口は小さくて、鶴首、いや鶴首というほど長くないものの、管のように細くなっています。大きさは、底が手のひらにそっと載せられて、胴を五指でつかめるほどです」云々』この文章を思い出した時、つい最近、山中恵美子さんが書かれた「杏の木のひとり言」のなかに「私の宝物」でプール工事の作業場で見つけたコバルトブルーの色をした一輪挿しとは、平安京の大内裏の女御衆が使用した椿油の油壺ではないか、いやそうに違いない。つややかな黒髪を垂らし絢爛たる牛車に揺られ御簾越しに見る都大路の賑わいを彷彿とさせるロマンを感ずるのである。

つばき「ごめんやす、いつもの椿の髪油を分けておくれやす」ご贔屓の御婆ちゃんがいつもの化粧用あぶら瓶をもつて椿油を買いにこられた、「御婆ちゃん何時見ても綺麗な髪ですね」「椿油のお蔭ですわ」そんな雰囲気のなかで油の量り売りをしている店は珍しい。容器、包装紙の節約は昔ながらの商売の中で自然と様になっている、リサイクル。エコ、自然、天然、何か資源の無い日本の商売の原点を見たような気がした。