シチリア島の彩りを思い起こす芳醇な香り、ゼフィーロのある暮らし。
エッセイスト 湧月りろ
生命力あふれるラベルの絵が印象的なエキストラヴァージンオリーブオイル「Zefiro(ゼフィーロ」。
シチリアの画家デシモーネによって描かれたこの絵を見ただけで、もうこのオイルの豊かな味わいが想像できるようだ。
ブーツの形に例えられるイタリア。そのつま先の対岸がシチリア島だ。
オリーブの産地として世界的にも知られ、それぞれに個性を持つ多くの品種が栽培されている。中でも西の端に位置する港町トラーパニで作られているこのオリーブオイルは、原料を含めて間違いなくこの地で作られたことを示す“D.O.P”(原産地呼称制度)の認証付き。南イタリアの明るい太陽を浴びて育ったオリーブのおいしさを思う存分に楽しめる、陽気なオイルである。
私も以前、山中油店さんでテイスティングさせていただいた際に一瞬で惚れ込み、それから何度となく買いに来ているお気に入りのオリーブオイル。
口に入れたとたんに広がる爽やかさはダントツで、青りんごのようなフルーティーな香りが病みつきになる。
バゲットに含ませると、バゲット自体の甘みが増幅されるようで味わいが何段階も上がる。
レタスやキュウリなどフレッシュな野菜に回しかけ、ほんの少しの塩と酢で和えるだけでも十分なごちそうになる。スーパーに売っている甘酢やすし酢、マリネ用の酢などを利用すれば手軽にドレッシングが作れるし、淡泊な野菜でも、こんな上質なエキストラヴァージンオリーブオイルならではの芳醇な香りをまとわせただけでレストランのサラダに変身する。そこに完熟トマトを添えればもう一気にイタリアンな食卓の出来上がりだ。とにかくトマトとの相性は最高!
オリーブオイルに慣れていない初心者でも絶対に美味しいと思えるポピュラーな味わいでありながら、わずかにピリッと感じる辛味で個性的なアクセントも与えてくれる。
すべてのバランスがほどよく整った、誰にでも好かれるオリーブオイルだ。
とにもかくにも、何にでも合うのが特徴。逆に、これは合わないという物ってあるのかな? なんて思うほど、すべての人々におすすめしたい。
おかみの浅原貴美子さんにお聞きした話しでは、このオイルの生産者さんは大のトマト好きで、1年365日のうち360日はこのオリーブオイルをたっぷり使ったトマトソースが食卓を飾るという。
さすがイタリア、さすがシチリア島だとうなるエピソードだ。
地元ではそれほどまでに日常的に台所やテーブルにある存在だということも、実際に味わってみればおおいに納得する。
先日、急な用件で友人が我が家へやってきた。
来客をもてなせるほどの食材の用意がなかったのだけれど、ちょうど山中油店さんから持ち帰ったゼフィーロと、これまた上質なエキストラヴァージンオリーブオイルで作られたバジルペーストがあったので、冷蔵庫にあった適当なものを大皿に並べ、その横にオイルとバジルペーストを置いた。
トマトに水菜、カマンベールチーズ、生ハム、ビアソーセージ、ブロッコリーとチーズを練り込んだパン。
ただ並べただけなのに、美味しいオイルとバジルペーストのおかげでちょっとしたおもてなし料理の風情になった。
ワインはもちろん、フルーティーで軽めの日本酒とも合い、思いがけず楽しい晩餐会となったのである。
どんな食材をもワンランクアップしてくれる、そんなオリーブオイルを常に手元に置いておく暮らし。
じつに良い。
じつはシチリア島は、私の憧れの地なのだ。
もう30年も前の話しになるが、イタリアのローマを旅した時のこと。
町を歩いているとカラフルな果物を並べたお店が目に入った。
日本では見かけない色や形に心を躍らせながら眺めていると、お店のご主人らしき年配の男性が近づき陽気な笑顔で「チャオ」と声をかけてくれた。
イタリア歌曲の勉強を始めたばかりだった私は、イタリア語を読むことは何とか出来たのだが、会話などまったく不可能でドギマギしてしまったが、どうしても訊いてみたいことがあっておそるおそる口を開いた。
「チャオー。んーと、えーっと、ブラッド…オレンジ?」
今でこそ知名度が上がってきたが、30年前の日本ではブラッドオレンジなんてそうそう出合えるものではなかった。あるイタリア料理店で飲んだブラッドオレンジジュースが忘れられず、何年もの間、いつか生の果実を味わってみたいと思い続けていたのだ。
「オー! ブラッドオレンジ!」
気の良さそうなご主人は、何も知らなさそうな外国人の若輩者に向かって、とても親切に丁寧な説明をしてくださった。もちろん、ほとんど理解できなかった。けれども時おり聞こえる数少ない“知っている単語”から、なんとなく推測はできた。
ご主人の返事はおそらくこんな感じ。
「ブラッドオレンジはここよりずっと南にあるシチリア島でたくさん採れるんだよ。でも収穫時期はまだもう少し先なんだ。これから実がどんどん赤く、赤~くなって、2月頃にはそれはそれは甘くておいしい果実になる。残念ながら今はまだここにはない。あと2カ月ほどしたら真っ赤でおいしいブラッドオレンジがいっぱい並ぶから、また買いにおいで」
身振り手振りを交えて情熱的に語るご主人が、両手で大事な宝物を撫でるような仕草をしながらおっしゃった「ローッソ、ローッソ」という言葉の響きがいつまでも胸に残っている。
いつか2月のシチリア島へ絶対に行こう。明るい太陽をさんさんと浴びて、濃い緑色の葉の間に赤い、赤い実が輝くシチリア島へ。
そう心に決めた若かりし頃の私。
山中油店さんでゼフィーロのラベルを見たとき、この時に思い描いた想像の景色がふいによみがえって胸が熱くなったのだ。
シチリア島の東側に広がるブラッドオレンジの産地に対して、このオリーブオイルが造られているトラーパニは島の反対側、西の端で、石造りの家が並ぶ素朴な港町だと聞く。
とにかく魚介類が豊富で、炭火で焼いた海の幸にたっぷりとオリーブオイルをかけて食べるのが定番だそう。
山中油店さんで教えてもらったのは、このオイルとニンニク醤油でカツオのたたきを漬けにする食べ方。きっと本場の食とも共通項があるのだろう。これはぜひやってみたい。次回のエッセイではその報告をしよう。
産地へ足を運び、オリーブの木々や製造工程をその目で見て油をセレクトされる山中油店さんだからこそ聞ける、そんな現地の様子やエピソード。生産者さんと直に交流されることで、オリーブオイルに込められた作り手の思いを受け取り、それらを商品とともに私たちへと届けてくださる。
1本のオリーブオイルを通して、その向こうに見えてくるシチリア島の食の豊かさ。
彩りに満ちあふれた自然の情景、そして明るい陽射しを思わせる人々の陽気さ。
かの地で育まれてきた港町ならではの文化や熱い思いがこの1本に込められているのだなあと、お話しを聞きながら私の心はもう旅に出ていた。
この芳醇な香りの中に吹く、蒼い海風。
いつかこの肌で感じてみたい。
まだ見ぬ旅の風景に思いを巡らせながら、今日もゼフィーロとともに食事を楽しんでいる。
2025年4月30日