平安宮内裏跡 承香殿 弘徽殿の歴史
承香殿の歴史
『源氏物語』は「いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひたまひける」で始まります。
内裏の正殿で公的な行事が行われた紫宸殿、仁寿殿に近い承香殿は、地位の高い妃の居所(後宮)であり、仁寿殿とは廊下でつながっていました。
その東庇には天皇の書物を保管するところがあり、ここで『古今和歌集』が編さんされました。
醍醐天皇や一条天皇の后となってここに住んだ女御は「承香殿女御」とよばれました。
弘徽殿の歴史
弘徽殿は天皇の居所である清涼殿に近く、後宮の中では重要な殿舎でした。
「源氏物語」の弘徽殿女御は桐壺帝に入内し、後の朱雀帝を産んだ女性です。
弘徽殿女御は光源氏の母の桐壺更衣に執拗な嫌がらせをしたことで有名です。
また、女御の妹の朧月夜もここに住み、光源氏と結ばれました。
そのことで女御の怒りをかった源氏は須磨へ流されることになりました。
「弘徽殿女御」と呼ばれた女性に宇多天皇・村上天皇・一条天皇の后たちがいます。
『局(つぼね)』とは
『局(つぼね)』とは、天皇の妃に仕えた女房たちの部屋のこと。
平安京の内裏跡に建つ町家ゲストハウスにふさわしい名前です。