和のあぶら

油の話 (1)油の歴史に少しふれてみましょう

「油の神様」として、弊店当主が毎年元日の朝一番に参拝いたしております、離宮八幡宮(京都府乙訓郡大山崎町)には「本邦製油發祥地」の碑が建てられています。離宮八幡宮の説明によると、「平安時代の初め、当社神主が「長木」という道具で油を絞り、灯油に用いた。これが我が国製油の始まりとされている」とあります。油は神祀(まつ)りの灯火に用いられ、また宮中に献上される、大変貴重なものでした。

荏胡麻この時絞られたのは「荏(え)油」。「荏」というのは東南アジア原産の、「白紫蘇(しろじそ)」とも呼ばれるシソ科の植物で、その種子である「荏胡麻」から油を採ります。一般の方にはあまり知られていませんが、「荏油」は木材のつや出し・塗料として使われ、最近は京の町家の修復作業現場から多数お問い合わせを頂戴しております。

荏胡麻:直径1~2ミリ

弊店が創業した約200年前は、主にお灯明用の菜種油を扱っていました。荏油から菜種油へと変遷していったのには歴史的な背景を抜きにしては語れませんが、詳しくは次回に譲ることにいたしましょう。機能的な面で言えば、荏より菜種の方が栽培しやすく稲の裏作が可能だったこと、搾油しやすかったこと、明るさの点で優れていたことなどがあげられます。

さて、植物性の油と言うと、すぐに思いつかれるであろう使い道は「食用」でしょう。明治に入って石油が輸入され、電気・ガスが普及するまで、植物性の油と蝋燭(ろうそく)が灯用としての主な資材でした。それまでにも食用として使われていたという記録はありますが、大衆に普及していったのは幕末から明治にかけてのことだと言われています。

油売渡帳弊店に残る「油売渡帳」には、売られた油の種類やお得意先名、販売量や価格などが毛筆で記されています。そのうち明治末期から大正にかけてのものを調べてみましたところ、取り扱い品目は現在のように多くなく、菜種油がほとんどでした。この頃から、お得意様の中でもごく限られた人々にのみ使われていた胡麻油が次第に一般的なものとなり、菜種油も、より食用に適するよう精製を加えたもの(太白(たいはく)菜種油。白絞(しらしめ)菜種油とも言う)が出まわり始め、食用油としての需要が伸びてきたことがわかりました。京都で、油を食用として利用しはじめた時期は、通説より多少遅れたようですが、これは京の食生活が江戸や大阪などの大消費地域とは異なる特性を持っていたからでしょうか?古い台帳を見つめていて、ふと顔を上げると当時のお客様が「菜種一升おくれやす」と買いに来てくださる、そんなことが本当にありそうな店構えの山中油店です。京都散策の折には是非ともお訪ね下さいませ。

油の用途は時と共に移り変わり、貴重品から各家庭で常備のものとなりました。当たり前の存在になりすぎて案外気がつかなかった、油の不思議、面白さ、そして美味しさをより知っていただきたい、そんなお手伝いができる「油の専門店」でありたいと思います。