和のあぶら

油の話 (5)菜種から油まで ことわざシリーズ

蕓 苔 子(うんたいし)

ご存知の通り、「油に関する諺」には、油そのものが古くから大変貴重なものであったこと、更には潤滑油としての利用や燃え易い性質から色々と興味ある諺が多く、またその諺が今も私達の日常生活の中で生き生きと語り伝えられている事に興味を覚えます。また庶民の中にこれほど溶け込み、大切に使われている産物も珍しいのではないでしょうか。

表題、菜種から油まで は、菜種から搾られて菜種油になるまでの意味から、初めから終りまでを言い表す原点になっていると言われている位です。ここで種子から油までの経過と、それに関連する諺を挟みながら紹介しましょう。(以下出典:むさし書房 ことわざ辞典・旺文社 故事ことわざ慣用句等から引用)

中国の諺に春の雨は貴きこと油の如しとあります。油が日常生活に非常に貴重な物であるように春の雨はその年の収穫を左右する大切なものでした。菜の花の咲く頃になると菜種梅雨と言って日本の各地は前線の影響で梅雨時と同じような長雨になります。

油桶と油壷

店頭ディスプレイされている油桶と油壷

また、雨が降らず太陽が照りつけ、風もなく汗が滲み出して暑苦しい事を 油照り と言います。この様な適度の降雨と日照りによって菜の花は大きく成長し、油の原料となる菜種の種子が立派に結実するのです。
さて、収穫された菜種はよく乾燥してから、異物を除き粉砕して甑(こしき)で蒸してから搾油機で油を搾ります。昔の油搾りは槌(つち)で矢を打ち込むのですが、それは重労働でした。搾油の初めのころは、矢を打てば打っただけ油が出るのですが、それも次第に少なくなります。そこでさらに力を入れて矢を打ち込むと、ターラリ・ターラリと残り油が出てきます

いつもは油壷から出たような =つやつやして美男子の親方も、こと油搾りになると態度豹変、油で煮しめたような=汚れた手拭いを鉢巻にして、急に厳しくなり真剣そのもの。職人に対して油を絞る=過ちや失敗を厳しく叱るとか、とっちめる=やきを入れたり気合をいれたりする [注1] などしました。油が貴重な物であっただけに職人さんは勿論、親方さんも大変だったようですね。

[注1] とっちめる =槌で打って油をしぼることから発生した語。
「とつ・ちめる(しめる⇒締める)」「と・つち(槌)・める」からきたと思われる。

山中油店さあ、今年の油も良い搾り上がりだぜ。油が乗った勢いで物事が順調に捗(はかど)るように、油溢さず=堅実で注意深く、油が切れた=元気を失い活力のない市場に油を注ぐ=勢い付けることにしよう。今日は洛中界隈のご贔屓に天秤棒で油桶を担いで商売に行く事にしやしょうか。 得意先で世間話や無駄話を長々として仕事を怠ける=油を売ることの無いように気をつけようぜ。口先でぺらぺらとよく喋ることは竹に油や油紙に火の付いたようのたとえ、あまり他人の注意や忠告を意に介さない=油紙に水を注ぐのも、妥協せずしっくりしない=油に水が混じるのも、商売の邪魔になるので注意が肝心。

「明かり」の手段として油が用いられた時代、油の途絶は生命を脅かすと言われ、油断大敵は暗黒の闇の到来とひいては生産の低下を招くと昔から戒められ、言い伝えられてきました。この諺は前にも紹介したことがありますが、仏教経典の涅槃経に出てくる説法に由来していることから、原典を辿れば遠くインドの古代から「あぶら」が如何に貴重なものであったことかと感心させられます。

油此処に十文が油をとぼして五文の夜なべせよと言う江戸時代の諺があります。目先の勘定では損をするように見える仕事でも、精を出せば身のためになるという教えであり、二十一世紀の今日でも見習わなくてはいけない含蓄のあることばですね。
他にも言い伝えられている油の諺が沢山あります。これだけ庶民の中に溶け込み、教訓やら戒めを残してくれた先人に感謝し、意義ある「油文化」をもっと大切にし、また継承して行きたいものです。

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